【ネッロ・サンティ新譜】 3/24(日)まで関連作品のプライスオフも開催

マイスター・ミュージックより巨匠 サンティの貴重なオーケストラ・ワークスを高音質リマスター盤でリリース

母国イタリアはもちろんのこと、チューリヒ歌劇場での音楽監督、メトロポリタンやコヴェント・ガーデンといった屈指の劇場への客演などで活躍し、絶大な人気を誇った、マエストロ、サンティ(1931-2020)。
膨大なレパートリーを全て暗譜で指揮する事でも知られ、ヴァイオリンを初めとするオーケストラのほとんどの楽器奏法に精通、オペラのリハーサルでは声楽パートを自ら歌い見本を示すなど、その破格の才能で楽団員や歌手たちからは畏敬の念を持って迎えられていました。
マスタリングでより鮮やかになった巨匠の至芸をお楽しみ下さい。

ネッロ・サンティ関連旧譜のプライスオフが2024年3月24日まで開催

アルバムについて <木幡 一誠>

 ネッロ・サンティと読売日本交響楽団は1993年4月、東京芸術劇場におけるコンサート形式による「ファルスタッフ」で初共演を果たした。アンサンブル・オペラとして隙なく整った歌手陣と、それを支えるオーケストラの見事な統率感が評判を呼んだ公演である。その後も十八番にあたるヴェルディのオペラをコンサート形式で取り上げながら彼らは共演を重ね、シンフォニックなレパートリーでも客席を沸かせた。サンティも「素晴らしいボディを持ったオーケストラ」と、まるでイタリアの銘醸ワインを評するような言葉で読響のことを讃えている。両者の蜜月関係は当アルバムに収められた1999年のライヴ録音からも伝わってくるとおり。そしてサンティは21世紀に入ってからNHK交響楽団にもたびたび客演を果たし、我が国の聴衆と結ぶ絆もどんどん深めていった。その指揮姿は今も記憶に新しい。

 世界第一線のオペラハウスでの活躍を通じて、音楽家や劇場関係者から“パパ・サンティ”の尊称で親しまれた職人的名匠。確かに歌劇畑のイメージは強いが、1986年から1997年まではスイスのバーゼル放送交響楽団の首席指揮者として腕をふるっていた人物でもある。堅固にして無駄のない造形感覚こそはオペラのピットを離れた場でも彼が発揮する最大の美質に他ならず、オーケストラの全パートが非常にバランスよく、内声やバスまで意味深く役割を演じていくのは、スコアが隅々まで頭に入っているからこそ可能な芸当だ。

 彼の棒を得て、作品の根幹をなすフレージングは自然に息づき、カンタービレの弧は美しく軌跡を描き、そしてそれが連なっていく過程を絶妙な“間合”が彩る。その間合の感覚にせよ、オーケストラから引き出す響きのニュアンスにせよ、ブラームスとメンデルスゾーンという作曲家の住む世界まで明確に描き分けた至芸も堪能されたい(どちらの交響曲も第1楽章提示部の反復を実践しているのは彼らしい律儀な態度)。

ヨハネス・ブラームス (1833-1897)

交響曲 第1番 ハ短調 作品68

 恩師シューマンの「マンフレッド」序曲に感銘を受けて、ブラームスが交響曲の創作を思い立ったのは1855年。しかし本格的な着手は遅れ、1862年の夏に現在の第1楽章の主部が形をなしてからも中断期間が挟まれる。友人の指揮者ヘルマン・レヴィに「ベートーヴェンの足音を背中で聞く人間に、交響曲など書けたものではない」と口にしていたのが1870年代初頭だった。最終的な全曲の完成は1876年の秋。同年11月4日にオットー・デッソフの指揮でカールスルーエ宮廷楽団が果たした初演は大成功を収めたが、その後も第2楽章へ加えられた大幅な改稿などを経て、1877年10月に出版へと至った。

第1楽章 ウン・ポコ・ソステヌート − アレグロ

 壮大な構えの序奏部で耳にとまる、半音階で上昇(および下降)するモチーフや六度の跳躍音型。それがソナタ形式の主部でも徹底活用されながら、運命との闘争と安息への希求を描き出していく。

第2楽章 アンダンテ・ソステヌート

 憂愁と憧憬の念を交錯させた導入部を経て、オーボエが品位の高いテーマを提示。切迫感も伴う情調のもと木管楽器がソロを吹き継ぐ中間部を経て、独奏ヴァイオリンを活躍させる形でテーマが再現される。

第3楽章 ウン・ポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソ

 ブラームス好みともいえる間奏曲風のスケルツォ。トリオは第1楽章とも関連する同音連打の動機に始まり、次第に感情のうねりを高める。主部が再現してまもなく、終楽章の第1主題を暗示する動機をヴァイオリンが奏でるくだりも印象深い。

第4楽章 アダージョ − ピウ・アンダンテ − アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・ブリオ

 序奏部の前半では主部で活用される様々な動機素材が姿を見せた後、劇的な高揚を演じる。後半に入ってホルンが朗々と吹く旋律は、ブラームスがクララ・シューマンの誕生日に送った手紙に「高い山と深い谷から、貴女へ何千回も挨拶を送ります」という言葉と一緒に記したものだ。主部は展開部を持たない変則的なソナタ形式で、提示部にすぐ再現部が続き、そこで各主題がさらに展開されながら劇性を高めていく。その第1主題から派生した音形で盛り上がるコーダは、序奏部に登場したコラール動機の再現を経て、たたみかけるような終結部に至る。

フェリックス・メンデルスゾーン (1809-1847)

交響曲 第4番 イ長調 「イタリア」 作品90

 1830年の10月から1831年の4月にかけてメンデルスゾーンはイタリアを訪問し、同地の風光から霊感を受けながら交響曲のスケッチを始めた。彼はそれを「イタリア交響曲」と呼び、ベルリンの家族に宛てた手紙で「滞在中に完成させたい」と述べていたが、作業は中座したままに終わる。再びその着想に向き合ったのは、1832年11月にロンドンのフィルハーモニア協会から舞い込んだ新作の依頼によるものだった。翌1832年1月から作曲が始まり、3月に完成した作品(標題を掲げず単に「交響曲イ長調」と称する)は5月13日にロンドンでメンデルスゾーンの指揮によって初演を迎えた。
 しかしその内容に彼は満足せず、1834年に予定された再演を契機に改訂を試みるが、第2〜第4楽章の別稿を仕立てた段階で放棄されたままとなり、“改訂版”は陽の目を見ることがなかった。作曲者没後の1851年に刊行を見た初版譜は1833年の初演稿に基づいており、それが今日まで演奏に用いられる形である。

第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ

 溌剌として地中海的な清朗さが耳を奪うソナタ形式の楽章。弦楽セクションと木管楽器の精緻なからみあいも聴きどころだ。

第2楽章 アンダンテ・コン・モート

 素朴なタッチの短調で書かれた主題と、瑞々しい叙情をたたえた副主題が交互に姿を見せながら、鮮やかな対比感をおりなす。

第3楽章 コン・モート・モデラート

 ドイツ舞曲調で書かれたメヌエット風の装い。トリオではホルンの牧歌的な呼び声にフルートとヴァイオリンが応える。

第4楽章 サルタレッロ〜プレスト

 サルタレッロはナポリ起源のダンスで、メンデルスゾーンはイタリア滞在中にローマで接していた。疾走感に満ちた曲は自由なロンド形式で、コーダまで一気呵成に歩を進めていく。